新潟山岳会ホームページ

新潟山岳会について

新潟山岳会は、新潟市を拠点とし、山を愛する会員達によって運営されています。ハイキング、縦走、岩登り、沢登り、雪山、スポーツクライミング、山スキー、とオールラウンドに活動しているのが特徴です。“岩”や“雪”などというと、「私でもやっていけるだろうか?」と思う方がいるかもしれませんが、そんな不安は無用です。一人一人の条件や指向を尊重した自由な活動を行っています。

会長 阿部信一

阿部会長

1947年4月10日新潟県生まれ。幼少の頃より生活環境の中で大自然に囲まれ、何の気負いもなく山に親しむ。
それでも“登山”という言葉で山道を行くようになったのは12才の時である。その後15才(いわゆる38豪雪があった年)で数人の仲間と共に冬(12月8日)の五頭連峰で遭難。この時の強烈な経験で逆に山の洗礼を受けることとなる。この日はくしくも今は亡き妻の誕生日でもあり、思い起こすにつけ運命の日と言えるだろうと阿部は語る(もっと言えばかの長谷川恒男の誕生日とも重なり、ジョンレノンが殺害された日でもあり、さらにはパールハーバーが奇襲された日でもあり…。でもこれらは関係ないかもしれない)。その後昭和40年代初頭から山での本格的な活動に開眼していくこととなるが、中でも、有名な昭和42年の8.28水害(羽越水害)前後にあい次いで入渓した五頭山系において、天地がひっくり返る様(あった筈の滝が消えていたり、通れない筈の釜を突破できたり、etc.)を目の当たりにしたことが、山への傾倒に一層拍車をかけたようだ。そして越後の山の侮れなさに魅せられた阿部は、その中でもあらゆる山行形態に於いて探究し尽くことのできない会越国境の山、御神楽岳と出会い、現在に至るまで数々の山行を重ねることになるのである。
その後の山での活動は留まるところを知らない。新潟の山を縦横無尽に知り尽くしているのはもちろんのこと、国内の主だった岩場、沢、尾根にもその足跡を記す。もちろん現在においても山岳会の活動では現役のリーダーを務めている。入りくんだ沢の中で、また踏み跡のない雪山のラッセルで、前途に不安を感じても、阿部に笑顔がある限り、会員は安心してそのまま前進するのである。海外経験も豊富。

▶平成2年 パンジャブ・ヒマラヤ登山隊に参加。シャイギリ峰登頂。
▶平成4年 マッターホルン登頂。
▶平成9年 チアジャンマ峰登頂。

寄稿した山岳図書は、「新潟山の花旅」(監修:新潟県山岳協会、発行:新潟日報事業社)など数点に及ぶ。また、地域の登山振興のための行事や、新潟県山岳協会の活動にも意欲的に関わっている。
広く山の世界と関わり続けてきた阿部であるが、その阿部が一名山として挙げるのが、前述の「御神楽岳(1,386.5m)」である。阿部のこの山への思い入れは、新潟山岳会活動記録「くちなし」において余すところなく綴られている。機会があれば、是非ご参照いただきたい。

■初登頂記録
シャイギリ峰 (パキスタン)…平成2年、パンジャブ・ヒマラヤ登攀隊長としてシャイギリ・ピーク(5,971m)に日本人として初登頂。
チアジャジマ峰(中国)…平成9年、新潟山岳協会50周年記念行事として、中国の曲阿加吉瑪遠征に参加。II峰(5,890m)の世界初登頂に成功。

ホームページ担当 SEGA

1977年生まれ。より困難な山へ挑戦するために入会するも、最近は子どもとの遊びと村上居住のため出席率悪し。自然への知識を深めたく森林インストラクターを取得。仕事の合間に山岳会ホームページの改良を担当。サイトデザインついての意見・感想はSEGAまでお願いします。

新潟の上のほうで印刷デザインはエイコーンクリエイト

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