新潟山岳会ホームページ

新潟山岳会について

新潟山岳会は、新潟市を拠点とし、山を愛する会員達によって運営されています。ハイキング、縦走、岩登り、沢登り、雪山、スポーツクライミング、山スキー、とオールラウンドに活動しているのが特徴です。“岩”や“雪”などというと、「私でもやっていけるだろうか?」と思う方がいるかもしれませんが、そんな不安は無用です。一人一人の条件や指向を尊重した自由な活動を行っています。

くちなし111号(新潟山岳会創立50周年記念号) 新潟山岳会 編

【特集】
○座談会…現役メンバーによる冬合宿の振り返り
○座談会…初期メンバーによる新潟山岳会の歴史
○自由投稿…会員による山への思い。山岳会への思い
○写真集…美しい風景はもちろん、会員の顔が分かる、会の空気が見える写真多数掲載

くちなし 新潟山岳会60周年記念号

【発刊】2014年2月
くちなし111号からの抜粋
さくいん
「飯豊連峰大日岳 飯豊裏川ぐるり一周 創立50周年記念合宿」 阿部信一
自由投稿 「キラキラ」 渡辺康博

創立50周年にあたり

会長 阿部信一

新潟山岳会もついに50年という一区切りの時を迎えたかと、大きな感慨を覚えています。
私自身、昭和42年「くちなしの会」に入会しました。その後「くちなしの会」は「くちなし山岳会」、「新潟山岳会」に名前を変えていきました。「くちなしの会」、「くちなし山岳会」の時期には、初代会長の森田健さんが「なぜ新潟に『新潟山岳会』という名前の山岳会が存在しないのだ?」とよく言っていました。
昭和45年。当会の若さがゆえの勢いで「新潟山岳会」という名前を名乗ることとなりました。
「新潟山岳会」と改名してから聞いた話ですが、当時の多くの山岳会たちも「新潟山岳会」という会名を付けたくて新潟の登山界の大御所であられた藤島玄さんにお伺いをたてた山岳会がいくつかあったと聞きました。そんな事情も知らずに「新潟山岳会」という名前を付けてしまった向こう見ずな若輩者たちの集まりであったのでした。
その後、新潟山岳会という名前に恥じない山岳会にすべく全員で邁進したことが、会にとってかけがいのなえのない財産になりました。
五頭山塊の沢登り地域研究から始まり、二王子岳正月合宿から御神楽岳の正月合宿へと移り、山伏尾根、水晶尾根の登攀、夏の岩、沢とレベルを上がって行きました。
そんな時、大きな変わり目となる穂高岳の岩登り講習会に私が参加させてもらいました。今は亡き吉尾弘さんを校長とする、カモシカスポーツのダンプさんこと高橋和之さん、当時のトップクラスのクライマーが講師でした。それをきっかけとして一気に岩登り志向が目覚めだしたのです。毎週毎週、谷川岳一の倉沢へ通いました。その後、穂高岳、剣岳の岩登り合宿に移っていきました。そのベースにやはり五頭山の沢、御神楽岳の地域研究が大きな力と自信になっていたと思います。
そして森田健さんの山岳会の指向性への助言、行動が大きな力になっていたのではないかと思います。県の山岳協会への加盟、新潟市の岳連の再建など、活動も多岐にわたり始めました。また活発な活動には大きな試練も待っていました。それらもまた大勢の皆さんの御協力で乗り越えられたのだと思います。そして会員同士の固い団結と協力は言うまでもありません。
年々、山登り志向も変化していますが、山は変わっていません。自然に対してはいつも真摯に向き合っていきたいものです。また、これからも新潟山岳会のご指導、ご鞭撻よろしくお願いいたします。

平成25年秋 吉日

入手ご希望の方は、ご連絡ください。廉価でお分けいたします。

50周年記念式典の様子

2014年2月9日、新潟オークラホテルにて新潟山岳会50周年記念式典が開かれませいた。50年の歴史は人と人との歴史。みなさんの情熱と協力の積み重ねが50年の歴史そのものです。みなさんありがとうございます。

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新潟の上のほうで印刷デザインはエイコーンクリエイト

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